「普通は、こうするでしょう」
日常の中で、ときどき出てくる言葉です。
でも、その「普通」は誰の普通でしょう。
育った家庭。
仕事の経験。
世代。
周りの人。
これまでの暮らし。
そうしたものから、自分なりの「普通」がつくられています。
自分にとって当たり前なので、普段は気づきません。
だから、誰かが違うことをすると、
「どうして?」
と思います。
でも相手にも、相手の「普通」があります。
片づけ方。
お金の使い方。
時間の使い方。
食事の仕方。
どちらかが必ず間違っているとは限りません。
「普通は」と言いたくなったとき、
「これは、私の判断基準かもしれない」
と一度考えてみる。
それだけで、見え方が少し変わります。

